邪馬台国女王卑弥呼に対峙した東海の古代王国 - 狗奴国国土交通省

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朝日遺跡・美濃街道・甚目寺観音(14.8km) 遺跡・史跡整備を考える(コース難易度 *)

貝殻山貝塚資料館から、西枇杷島の美濃街道旧跡を巡り、甚目寺観音へ。さらに北上して新旧清須城を通り、狗奴国の原形であった朝日遺跡を訪ねます。2時間ほどの自転車散歩コースです。




※コース難易度
 *小さいお子さんでも可能
 **小さいお子さんは大人の注意が必要
 ***小さなお子さんには難しい
 ****大人も十分注意が必要
        

貝殻山貝塚資料館ー3.9kmー美濃街道*


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 清須市の貝殻山貝塚資料館から出発します。この日、ちょうど愛知県埋蔵文化財センターの埋蔵文化財展示会がありました。朝日遺跡からの出土品を中心に展示されていました。
 資料館を出て、いったん名古屋方面に向います。歩道が整備され、安全に移動できます。逆にロードの方は車道の荒れている部分が気になるかもしれません。


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 庄内川にたどり着いたら、川を渡る前に右折。枇杷島の美濃街道を通ります。


美濃街道ー3.6kmー甚目寺観音**


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 美濃街道は東海道宮宿(熱田)と中山道垂井宿間14里余(約57km)を七つの宿場で結んでいました。旧街道筋は今でも宿場の雰囲気が残っています。


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 途中、問屋記念館や、一里塚の跡なども見ることができます。街全体は保存会の活動で整備が進んでいるのですが、実際に生活の場となっているこの道、時の流れとともに変化していくのでしょう。逆に生活と密着しているからこそ変わらない、守られているものもあるかもしれません。祭りの山車の倉庫をあちこちで見かけます。年に一度の西枇杷島祭りには5両の山車と花火、そして20万人の人出で賑わうそうです。


 枇杷島を離れると甚目寺めざして西に走ります。途中、桃栄小学校の隣を通り、五条川を渡る道は、歩道が狭く(すれ違えない)自転車は車道を走ることになり、危険です。お子さんは十分注意が必要です。また、五条川を渡っても、しばらく歩道のない道が続くので注意してください。甚目寺観音への一方通行に入ってしまえば安心です。


甚目寺観音ー4.2kmー清須城*


甚目寺観音は正しくは鳳凰山 甚目寺。地名の甚目寺はこの寺の名前からとった門前町。


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重要文化財の三重塔が有名。また、本尊は50年に一度しか開帳しない秘仏だとか。周辺にも「右つしまみち」などという道しるべが普通に立っていたりする。(左はどこへいくのか読めなかった)雰囲気を楽しみながら丹念に見ていくのがよいでしょう。


周辺の道はせまく、車の往来も多いので、甚目寺観音に自転車を置いて歩いて散歩するのがおすすめです。


甚目寺観音をあとにしたら、少し北上。田んぼの真ん中を右折。清須城に向います。五条川に当たったら、左折します。


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 右岸は桜並木の雰囲気のいい道ですが、踏み切りなど狭く、注意が必要です。安全な道は左岸のほうです。歩道はありませんが、見通しも良く自転車で十分通れます。ほどなく新幹線と清須新城がみえてきます。


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向って右手にある新しい天守閣は、全くの架空の城です。信長の時代、このような平城に天守閣ということはありませんでした。この城は後世の人間が考え出したイメージに建物の形を合わせただけでしょう。本当の城は、川の右岸。公園の中にありました。実際には東海道本線・東海道新幹線が城跡の本丸のど真ん中を通過しています。つまり、清須城跡は新幹線によって分断されています。


 いったい、だれがこのようなルートを許したのか。わずか50m南にずれれば、すべては救われたのに。。。信長ゆかりの(と清須市が謳う)清須城は史跡破壊と、史実に基づかない観光行政の見本のような城でした。


 ただ、この新清須城。市民の憩いの場としては十分機能しているようで、自分が訪れたこの日も、子どもたちの写生大会が行われていました。自分としては、新幹線から見える朱塗りの清須城。新しいこの城と同等の価値を、新幹線に分断された土盛りだけが残る旧清須城趾にも見いだしていただきたいと思っています。


清須城ー2.3kmー朝日遺跡*


 清須城からさらに北上。途中、五条川から離れ右折。東名阪道清洲東ジャンクションを田んぼの中に一望します。


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 朝日遺跡は、このジャンクションの建設工事現場から発掘されました。つまり、工事が完成した今、朝日遺跡は完全に失われました。我が国の貴重な遺産は発掘時にかなりの部分救い出されましたが、多くはこのコンクリートの巨大建造物の下に永遠に眠ることになったのです。


 面積でいえば、吉野ヶ里遺跡を越え、日本最大級といわれた朝日遺跡。わが狗奴国の原点とも言える朝日遺跡、高度な技術をもった産業都市であったとも言うべき朝日遺跡。もう、その全貌を知るすべはありません。


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 現在、このジャンクションの歩道を通って中に入ると、朝日遺跡の真上に立つことができます。古墳時代より以前にもこの朝日の地が、モノやヒトの交流の現場であったように、現在は車が(ほんの少しだけ慌ただしく)通り抜けていきます。


朝日遺跡ー0.8kmー貝殻山貝塚資料館*


 朝日遺跡から貝殻山貝塚資料館まではほんの1km弱です。



付記


 貝殻山貝塚資料館の近くに、キリンビール工場があります。散歩のついでに工場付属のレストランでビールを一杯、、と考えている狗奴国民のみなさん。少し注意してください。このレストラン、自転車で訪れても酒類を提供してくれません。歩いて帰るのに、と子どものような言訳をしてもダメです。さすが日本国のビールメーカー、きっちりしています。城北線星の宮駅を起点に輪行して、最後にビールを一杯という計画の方、自転車は駅に停め歩いていかれることをお勧めします。


 なお、貝殻山貝塚資料館の駐車場は午後4時30分で閉められますので、ご注意下さい。

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