狗奴国国土交通省 http://kunakoku.com/home/ ja-JP 2024-04-29T13:45:00+09:00 濃尾平野北縁 古墳群巡りコース(41.1km)[new] http://kunakoku.com/home/route_kunakoku/index.cgi?pg=0010 濃尾平野北縁 古墳群巡りコース(41.1km)[new]  濃尾平野の北縁に位置する、岐阜県の二つの古墳群を訪ねます。スタート・ゴールは鉄道駅ですので、輪行またはサイクルトレインの利用が可能です。<br><object codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=8,0,22,0" width="320" height="240"><param name="movie" value="http://route.alpslab.jp/fslide.swf" /><param name="flashvars" value="routeid=62681d7fd2400ac3bdb5e3d405a31c01" /><embed src="http://route.alpslab.jp/fslide.swf" width="320" height="240" type="application/x-shockwave-flash" flashvars="routeid=62681d7fd2400ac3bdb5e3d405a31c01" /></object><br><br><font size="1"><br>※コース難易度<br> *小さいお子さんでも可能<br> **小さいお子さんは大人の注意が必要<br> ***小さなお子さんには難しい<br> ****大人も十分注意が必要<br></font>        <br><h4>東赤坂駅ー15.5kmー野古墳群*</h4><br><br><p> 養老鉄道は桑名から揖斐まで通っているが、途中大垣でJRに接続するので、濃尾平野北部へのアクセスに非常に便利です。おまけにサイクルトレインといって、自転車をそのまま電車に乗せることができます。今回はこの養老鉄道東赤坂駅からスタートします。</p><br><p> まず、駅を降りたらひたすら北上します。揖斐川沿いを三町大橋で左折。川を渡り野古墳群をめざします。道は歩道がない部分もありますが、比較的交通量も少なく、小さなお子さんでも十分走れます。ただ、冬場は強風に注意してください。自分が走ったこの日も伊吹おろしが吹きまくり、インナーローでしか前進できない場面もありました(冗談ではないですよ、本当です。)</p><br><img src="./file/route0010/route0010-03.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 野古墳群は、5世紀から6世紀の前方後円墳が複数集まった古墳群です。一部は消滅していますが、多くの部分は比較的よく残っています。(現存12基)時代的にはわが狗奴国より後のことですが、古墳ってどんなもの?という素朴な疑問に応えてくれる場所です。</p><br><img src="./file/route0010/route0010-04.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 古墳はおおきなものでも家の高さくらい。立ち入り禁止にはなっておらず、古墳には登れますが、保護のための措置は何もありませんので、土を崩したりしないように十分注意してください。石室は見れませんし、葺き石はすべて無くなっている様子です。ただ、この集落の中の古墳。すごく自然です。この日も登った古墳の足元から、ラジオをつけて柿の収穫をする地元の方の音が聞こえてきて、なにかほんのり懐かしい気持ちになりました。</p><br><p> 野古墳群の北側には見学者用の広い駐車場(ただの広場ともいう)もありますので、狗奴国政府としてはあまりお勧めはしませんが、ここを起点に濃尾平野北部を自転車で回るというのも可能ですね。</p><br><h4>野古墳群ー12.4kmー願成寺古墳群**</h4><br><p> 野古墳群を出て、もと来た道を少し戻ります。トンネルを抜けて揖斐川町役場方面へ向います。この道は交通量も多く、小さなお子さんには少し注意が必要です。歩道も内部分があったり、狭かったりです。</p><br><img src="./file/route0010/route0010-10.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p>ふたたび揖斐川を渡り、今度は南下します。揖斐の駅をすぎたら注意して、萩原の交差点で右折。山に向って走ります。突き当たりの神社の赤い鳥居を左折し、集落を抜け川にあたったら再び右折。道の突き当たりがキャンプ場になっています。このキャンプ場の南縁が願成寺古墳群です。ここまで、かなり高度を稼がなければいけませんので心の準備をしてください。折り畳みのミニサイクルだとつらいかもしれません。</p><br><img src="./file/route0010/route0010-14.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><br><p> 茶畑の中に突然姿を現す古墳群ですが、一つ一つはかなり小さく、家一軒というより、小屋一つ分くらいです。小さなものはさらに小さく、古墳か?土饅頭か?という大きさです。ただ、その古墳が、6世紀〜7世紀にかけて110以上も作られ続けたといえばその規模の大きさがわかると思います。</p><br><p> ここの古墳は、すべて円墳で、狗奴国政府としては狗奴国との直接のかかわりはつかんでおりませんが、古墳群の終焉期には仏教の影響も確認できるなど、日本国にとっては貴重な遺跡といえます。</p><br><img src="./file/route0010/route0010-15.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><img src="./file/route0010/route0010-25.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p>比較的大きな古墳には石室も確認でき、石室の中に入ることもできます。ここでも、見学のための施設設備はなにもありませんので、狗奴国民は遺跡保護に心がけて見学してください。</p><br><br><h4>願成寺古墳群ー9.3kmー昼飯大塚古墳**</h4><br><img src="./file/route0010/route0010-36.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 願成寺古墳群から、そのまま南下。このルートは、山の東麓をほぼ直線的に南下するコースですが、南下する場合、高度を下げていくことになり、抜群の眺望と合わせて大変気持ちのよい道です。ただ、交通量は比較的多く、歩道もガードレールもない部分が多いので十分注意が必要です。</p><br><p> 池田温泉を越えると、小さな峠越え。峠の先の道がやや狭いので注意してください。峠自体は大したことはありません。峠を下り切ると昼飯の町です。</p><br><img src="./file/route0010/route0010-37.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p>昼飯大塚古墳は、この日史跡整備工事中で、近づくことができませんでした。ただ、野古墳群と、願成寺古墳群を見てきたその目で見ると、実に巨大な古墳であることが分かります。4世紀後半、この時代では全長150mという東海地方最大の巨大古墳の被葬者は、かなりの権力の持ち主であったと考えられます。また、石室が3つあったり、非常に例の少ない竪穴式石室があったりと、謎の多い古墳でもあります。</p><br><h4>昼飯大塚古墳ー0.8kmー金生山化石館(おまけ)ー3.1kmー東赤坂駅**</h4><br><p> ここから、美濃赤坂の駅まではすぐですが、ここまで来たのなら、ついでに金生山化石館も見ておきましょう。ただ、化石館までの最後の100mは斜度20%の激坂ですので、坂バカでない普通の狗奴国民は素直に自転車を押して上がりましょう。</p><br><p> 今回のルートは狗奴国には直接関係のないものでしたが(昼飯大塚古墳の評価については、狗奴国政府としての公式見解を保留します)、普段見ることができない古墳というものを、比較的身近に感じることができるのではないでしょうか。冬の季節は少しつらいですが、春にはレンゲ畑の中を走ることになりますし、菜の花もきれいです。狗奴国民も日本国民もぜひ一度訪れてみてください。</p> 2010-05-05T18:27:00+09:00 朝日遺跡・美濃街道・甚目寺観音(14.8km) http://kunakoku.com/home/route_kunakoku/index.cgi?pg=0005 朝日遺跡・美濃街道・甚目寺観音(14.8km) <p>貝殻山貝塚資料館から、西枇杷島の美濃街道旧跡を巡り、甚目寺観音へ。さらに北上して新旧清須城を通り、狗奴国の原形であった朝日遺跡を訪ねます。2時間ほどの自転車散歩コースです。</p><br><object codebase="http://fpdownload.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=8,0,22,0" width="320" height="240"><param name="movie" value="http://route.alpslab.jp/fslide.swf" /><param name="flashvars" value="routeid=6c823c66ea382eb6f075624c23976c3d" /><embed src="http://route.alpslab.jp/fslide.swf" width="320" height="240" type="application/x-shockwave-flash" flashvars="routeid=6c823c66ea382eb6f075624c23976c3d" /></object><br><font size="1"><br>※コース難易度<br> *小さいお子さんでも可能<br> **小さいお子さんは大人の注意が必要<br> ***小さなお子さんには難しい<br> ****大人も十分注意が必要<br></font>        <br><h4>貝殻山貝塚資料館ー3.9kmー美濃街道*</h4><br><img src="./file/route005/route005-01.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 清須市の貝殻山貝塚資料館から出発します。この日、ちょうど愛知県埋蔵文化財センターの埋蔵文化財展示会がありました。朝日遺跡からの出土品を中心に展示されていました。<br> 資料館を出て、いったん名古屋方面に向います。歩道が整備され、安全に移動できます。逆にロードの方は車道の荒れている部分が気になるかもしれません。</p><br><img src="./file/route005/route005-05.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 庄内川にたどり着いたら、川を渡る前に右折。枇杷島の美濃街道を通ります。</p><br><h4>美濃街道ー3.6kmー甚目寺観音**</h4><br><img src="./file/route005/route005-08.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 美濃街道は東海道宮宿(熱田)と中山道垂井宿間14里余(約57km)を七つの宿場で結んでいました。旧街道筋は今でも宿場の雰囲気が残っています。</p><br><img src="./file/route005/route005-07.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 途中、問屋記念館や、一里塚の跡なども見ることができます。街全体は保存会の活動で整備が進んでいるのですが、実際に生活の場となっているこの道、時の流れとともに変化していくのでしょう。逆に生活と密着しているからこそ変わらない、守られているものもあるかもしれません。祭りの山車の倉庫をあちこちで見かけます。年に一度の西枇杷島祭りには5両の山車と花火、そして20万人の人出で賑わうそうです。</p><br><p> 枇杷島を離れると甚目寺めざして西に走ります。途中、桃栄小学校の隣を通り、五条川を渡る道は、歩道が狭く(すれ違えない)自転車は車道を走ることになり、危険です。お子さんは十分注意が必要です。また、五条川を渡っても、しばらく歩道のない道が続くので注意してください。甚目寺観音への一方通行に入ってしまえば安心です。</p><br><h4>甚目寺観音ー4.2kmー清須城*</h4><br><p>甚目寺観音は正しくは鳳凰山 甚目寺。地名の甚目寺はこの寺の名前からとった門前町。</p><br><img src="./file/route005/route005-12.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p>重要文化財の三重塔が有名。また、本尊は50年に一度しか開帳しない秘仏だとか。周辺にも「右つしまみち」などという道しるべが普通に立っていたりする。(左はどこへいくのか読めなかった)雰囲気を楽しみながら丹念に見ていくのがよいでしょう。</p><br><p>周辺の道はせまく、車の往来も多いので、甚目寺観音に自転車を置いて歩いて散歩するのがおすすめです。</p><br><p>甚目寺観音をあとにしたら、少し北上。田んぼの真ん中を右折。清須城に向います。五条川に当たったら、左折します。</p><br><img src="./file/route005/route005-14.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 右岸は桜並木の雰囲気のいい道ですが、踏み切りなど狭く、注意が必要です。安全な道は左岸のほうです。歩道はありませんが、見通しも良く自転車で十分通れます。ほどなく新幹線と清須新城がみえてきます。</p><br><img src="./file/route005/route005-17.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p>向って右手にある新しい天守閣は、全くの架空の城です。信長の時代、このような平城に天守閣ということはありませんでした。この城は後世の人間が考え出したイメージに建物の形を合わせただけでしょう。本当の城は、川の右岸。公園の中にありました。実際には東海道本線・東海道新幹線が城跡の本丸のど真ん中を通過しています。つまり、清須城跡は新幹線によって分断されています。</p><br><p> いったい、だれがこのようなルートを許したのか。わずか50m南にずれれば、すべては救われたのに。。。信長ゆかりの(と清須市が謳う)清須城は史跡破壊と、史実に基づかない観光行政の見本のような城でした。</p><br><p> ただ、この新清須城。市民の憩いの場としては十分機能しているようで、自分が訪れたこの日も、子どもたちの写生大会が行われていました。自分としては、新幹線から見える朱塗りの清須城。新しいこの城と同等の価値を、新幹線に分断された土盛りだけが残る旧清須城趾にも見いだしていただきたいと思っています。</p><br><h4>清須城ー2.3kmー朝日遺跡*</h4><br><p> 清須城からさらに北上。途中、五条川から離れ右折。東名阪道清洲東ジャンクションを田んぼの中に一望します。</p><br><img src="./file/route005/route005-20.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 朝日遺跡は、このジャンクションの建設工事現場から発掘されました。つまり、工事が完成した今、朝日遺跡は完全に失われました。我が国の貴重な遺産は発掘時にかなりの部分救い出されましたが、多くはこのコンクリートの巨大建造物の下に永遠に眠ることになったのです。</p><br><p> 面積でいえば、吉野ヶ里遺跡を越え、日本最大級といわれた朝日遺跡。わが狗奴国の原点とも言える朝日遺跡、高度な技術をもった産業都市であったとも言うべき朝日遺跡。もう、その全貌を知るすべはありません。</p><br><img src="./file/route005/route005-21.jpg" style="padding:5px" alt="画像" /><br /><br><p> 現在、このジャンクションの歩道を通って中に入ると、朝日遺跡の真上に立つことができます。古墳時代より以前にもこの朝日の地が、モノやヒトの交流の現場であったように、現在は車が(ほんの少しだけ慌ただしく)通り抜けていきます。</p><br><h4>朝日遺跡ー0.8kmー貝殻山貝塚資料館*</h4><br><p> 朝日遺跡から貝殻山貝塚資料館まではほんの1km弱です。</p><br><br><h4>付記</h4><br><p> 貝殻山貝塚資料館の近くに、キリンビール工場があります。散歩のついでに工場付属のレストランでビールを一杯、、と考えている狗奴国民のみなさん。少し注意してください。このレストラン、自転車で訪れても酒類を提供してくれません。歩いて帰るのに、と子どものような言訳をしてもダメです。さすが日本国のビールメーカー、きっちりしています。城北線星の宮駅を起点に輪行して、最後にビールを一杯という計画の方、自転車は駅に停め歩いていかれることをお勧めします。</p><br><p> なお、貝殻山貝塚資料館の駐車場は午後4時30分で閉められますので、ご注意下さい。</p> 2009-11-23T22:45:00+09:00